2018年10月16日 17:00
筑後平野で盛んに生産されていた小麦ですが、
小麦粉にするためには挽かなければなりません。
そのとき役に立ったのが水車と石臼です。
八女市にある江戸時代中期創業、
田中製粉では古い石臼を見ることができます。
この石臼はつい60年前ごろまで現役で使用されていたもの。
そのころは筑後川の支流である山ノ井川を工場内に引き入れ、
水車、石臼を動かしていたそうです。
※田中製粉のブログ
http://www.tanakamill.com/?p=1513
筑後平野の豊かな実りは、
筑後川や矢部川が作った肥沃な土壌のおかげ。
収穫した小麦を和菓子の原料となる小麦粉にできたのは、
石臼を動かす水車が川の流れを利用できたおかげ。
そして、砂糖が入手できたのは、
有明海の干満の差を利用した
筑後川や矢部川の水運が発達していたおかげ。
丸ぼうろやかすてら饅頭など小麦粉を使う筑後南部の菓子文化は、
筑後川や矢部川のおかげで発達したのかもしれませんね。