<筑後南部の菓子文化> 和菓子屋さんはなぜ減った?

朝倉2号

2018年10月16日 14:30



 上の写真はみやま市瀬高町本郷にある和菓子店、

 西田製菓の店内にある立派な看板。

 そこには「祝祭佛事御料理菓子調進所」とあります。


 これは、お祝いごとや不幸があったときの

 料理やお菓子の注文を承りますということ。

 専用の式場がなかった昔は、

 自宅や公民館などで結婚式やお葬式が行われていました。

 西田製菓では、その際にふるまわれる料理やお菓子の注文を受け、

 お菓子は自分でつくり、もしかしたら料理は別途注文して、

 揃えて届けていたのでしょう。


 西田製菓のように料理の注文まで受けるかどうかは別として、

 以前の和菓子屋さんは店頭販売の他に、さまざまな結婚式やお葬式、

 年中行事の際に食べられるお菓子の注文を受けていました。

 地域の人々にとって和菓子店はなくてはならない存在だったのです。



 しかし、結婚式場、葬祭場が整備されると、

 和菓子店へのお菓子の注文はへり、

 年中行事の際の和菓子のふるまいも減りました。

 地域の人々の生活習慣が変わり、

 地域密着経営だった和菓子店が地域と密着できなった、

 それが和菓子店が減少している

 原因のひとつではないかと考えています。



 そう考えると、柳川市になぜ和菓子店が多いかという問いに対する

 ×カレー屋さん 〇お肉屋さん の答え

 「お寺さんが多いからじゃない?(という意の柳川弁)」が、

 あながち間違いではないという気がしてきました。


 つまり、

 お寺さんが多い

  →熱心な仏教徒が多い

   →法事などをしっかりやってる

    →来客にお菓子をふるまっている

     →和菓子屋さんの仕事がある


 風が吹けばみたいな推測ではありますが、

 柳川に和菓子店が多いのは、

 「地域が和菓子店を支える構造が、まだ残っている」

 ということなのではないか、そう思えてなりません。


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